=kthrtty/(+blog)

最近旅してないフルスタックサラリーマンジャーマネの旅行の記録

2011年リフレ旅行記その3〜丁度1年前みんなで山を登った

昨日のアウシュビッツ訪問であまりに疲れすぎて、夜Krakowの街に出る気力も無く倒れこんだ。

夜はiPadNHKのサイマルを見た。福島原発で水素爆発があったニュースがポーランドでも流れていた。世界は繋がっている。


3/14 05:00起床

朝ご飯まで3時間ほどあるので、朝日が昇りはじめたKrakowを散歩する。








第2次世界大戦があったにもかかわらずKrakowの街は戦火を逃れ、破壊されずに済んだらしく、中世に設計された町並みが残っており本当に美しい。








10:45 ヨハネ・パウロ2世パリツェ空港(Krakow)からテーゲル国際空港(ベルリン)へAirBerlinで移動。

空港では、ポーランド人のかわいい女の子たちに囲まれてご満悦な僕。
修学旅行か何かだろう。テンション上がり過ぎなのか、よほど黒髪モンゴロイドがこんな所に一人で座ってるのが珍しいのか「あなた英語はなせる?」と積極的にコミュニケーションとってきた。

超可愛くてよかった。
ここ1年で最大のモテ期だった。


到着後最初の問題。本当に全くドイツ語が分からないので、目的地が地図で全然探せない。案内板をひたすら睨めっこして、ホテルの住所と文字列比較。
http://yfrog.com/gyxk1zhj

iPhoneなかったら絶対たどり着けなかった。

途中にはメルセデスの本社ビルもあり、頂点には例のエンブレムが回転しながら光輝いておりました。
http://yfrog.com/h21knzaj


Sandra/StephanにはFacebook&SMSで連絡してあったので、19:30にピックアップしてくれるとのこと。月曜なのに申し訳ない。


ピックアップまで4時間何しよう。今回の旅行ほとんど何も決めてない。
iPad&TripAdvisorでベルリンを調べていたら、レンタサイクルが熱いらしい。近くの雑貨屋で自転車を借りて、走り出す。

チャリンコの経路をGPSで記録しておいた。


ドイツは売春が合法なのだが、丁度チャリンコこいで抜けた道がオネーサマがたが派手な格好で立っておられて驚いたわ。

SONY Centerを抜けて、チャーリーズチェックポイントへ。


その後もブラブラブラブラ。







博物館もどこもかしこも月曜日やってない。
Sandra曰く「世界中どこの博物館も月曜は休館日だし、5時すぎたら終わるから」

といくことで、チャリンコ最後の目的地「ブランデンブルグ門」




市庁舎の展望台は時間間に合わずして、外から見るのみ。

SONY Centerを通ってホテルに戻る。
SONYは完璧に外資系企業だね。



気づいたのだが、全くベルリンの壁が無い。道路に壁の跡がマークされているけれど、壁そのものは無い。残念。


19:30 SndraとStephanと再会。
Stephanはわざわざハンブルグからこのために来てくれた。

ソーセージとフライドポテトをひたすら食べる。
これがドイツのソウルフードなんだと!

んーまい!


その後は、Sandraの車でベルリン郊外へ。

車中で話を聞くに、ベルリンも中心地から少し離れれば貧しく失業者が溢れる場所もある。ソーシャルワーカーでもある彼女は「一見明るくなったように見えるベルリンの陰よ」と。

他にも、第二次世界大戦中は世界最大の空港だったBerlin Tempelhof Airportもまわる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Berlin_Tempelhof_Airport


さらに車を走らせ、ベルリンの壁が残っている場所へ。
これがベルリンの壁。20数年前は、周囲150kmを超えていたのか。


ゴルバチョフ



ブレジネフ(ソ連)とホーネッカー(旧東ドイツ)のキス。

ちなみに、20前後の時、Sandraは東ドイツ、Stephanは西ドイツで生活していたと教えてもらった。軽く言われたけど、重い。

そして、そんな彼らとバーでドイツビールを飲みながら思い出話をし続けた。
酔っぱらっていると大して英語が話せなくても何とかなるものだ。


丁度1年前の3/14、南アフリカ タンザニア Springlandホテルで出会った僕たちは一緒にキリマンジャロを登った。


1年後、ドイツのベルリンでその時の写真を肴にビールを飲むことができている。




僕は、結構幸せだ。



翌日、ベルリンからヘルシンキ経由で、北極圏の町ロバニエミへ向かう。