2011年リフレ旅行記その2〜知らなすぎたアウシュヴィッツ
3/13 朝
08:00 フランクフルトからミュンヘン経由でクラクフ入り。空港で野宿した際、クラクフのホテルに「今日泊れません。明日昼過ぎにクラクフまで迎えに来て、そのままオシフィエンチムまで送ってください」とお願いしてあったので、空港に迎えの車あり。
ちゃんと前日入りできていれば、乗り合いバスで目的地へ向かったりできたのだが、時は金なりということで、追加費用投下。
結局、地震の影響をリカバるのに400EURもしたが、復興費用に比べればカスみたいなもの。
13:30 世界遺産であるアウシュヴィッツ第一強制収容所@オシフィエンチム到着。
http://maps.google.co.jp/maps?hl=en&ie=UTF8&ll=50.025636%2C19.2032&spn=0.01453%2C0.041671&t=h&z=15&brcurrent=3%2C0x0%3A0x0%2C1&source=embed
クレマトリウム(ガス室)。
アウシュビッツ第一強制収容所を出て、第二強制収容所(ビルケナウ)へ向かう。
車で数分の所にある広大な土地がそれ。「目的をもって作られた工場」という印象。
http://maps.google.co.jp/maps?hl=en&ie=UTF8&t=h&brcurrent=3%2C0x0%3A0x0%2C1&ll=50.036911%2C19.175134&spn=0.014526%2C0.02532&z=15&source=embed
「シンドラーのリスト」などであまりにも有名な「死の門」(ビルケナウの鉄道引込線)はここにある。
クレマトリウムの残骸と思われるガレキ。終戦間近にSSによって証拠隠滅の為に破壊されたとされている。ビルケナウには大小あわせて6個の改良型クレマトリウムがあったとのこと。
石碑は複数あり、別々の言葉で同じことが書かれている。
"FOR EVER LET THIS PLACE BE A CRY OF DESPAIR AND A WARNING TO HUMANITY, WHERE THE NAZIS MURDERED ABOUT ONE AND A HALFT MILLION MEN, WOMEN, AND CHILDREN, MAINLY JEWS FROM VARIOUS COUNTRIES OF EUROPE."
ホロコーストについては、虐殺された人数や、本当にガス室があったのか、チクロンBの致死性についての疑問など、様々な議論されているよう。
悲劇は時にプロパガンダや潜在意識のせいで尾ひれ背ひれ付くものだと思うけれど、僕はそれを明らかにすることに人生をかけている訳でも無いので沈黙。
とりあえずこの場所へ来ることができて良かった、と付け加えておきます。
翌朝、クラクフの街を散歩して、ベルリンへ移動。
続く。