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最近旅してないフルスタックサラリーマンジャーマネの旅行の記録

ヨルダン、イスラエル、パレスチナの旅メモ

2011/12/30〜2012/01/09までヨルダン、イスラエルパレスチナを回ってきたメモを某所から転記。


■12/30
成田から昼の便でトルコ イスタンブール経由、ヨルダン アンマンに12/31深夜着。いきなりだがこの空港は湾岸戦争のときに毎日新聞の記者が持ち込んだ不発弾が爆発して死人が出る事件が起きてたりする。日本人の印象悪そう。


イスタンブールでは、最初の目的地としてヨルダンのペトラ遺跡に行くことに決めていたので、イスタンブールの空港で、頼みの綱のiPhone使って取り敢えずホテルを予約、ヨルダンのバス会社に早朝発のバスの予約確認メールを送る。

アンマンに到着後メール見たら「OK、座席空いてる」と連絡があったので空港のベンチで朝まで野宿。

空港からタクシーでバス乗り場まで行ってもらい、ペトラ遺跡の街ワディムーサには昼到着。

ペトラ遺跡は入場料が高くて困る。
でも、インディージョーンズ最後の聖戦の舞台でもあるエルハズネとか最高。

二時間ほどかけて登る山の上の眺めも感慨深いものがある。

ほとほと疲れ果てて宿に帰る。年越しの時にロビーに行って、外国人とハッピーニューイヤーするはずだったんだけど疲れ過ぎてて仮眠、起きたら2012年とっくに来てる状態あるある。


■01/01
明けましておめでとうを宿の人に告げてペトラ遺跡二日め。

昨日回れなかった犠牲祭壇を見るなど。これまた高所にあってなかなかどうして大変。

夕方のバスでアンマンに戻る。バスの中では日本人のキクチさんと隣になり、その後もう一人のアクツ君(アラビア語堪能なアラブ女性好きの大学生)を加えてメシに行くなど。


アクツ君の宿はマンスールホテル、一泊400円。イラクで拉致され殺された香田氏が最後に泊ったアンマンのホテルの従業員が彼の名前を忘れないようにとコーダホテルという通称を冠したホテルだった。彼はバクダッド行きのバスチケット取得に最後まで反対していたそうな。

はっきり言ってそんな話はニュースを介してしか無縁だと思っていたけど、少し考えさせられるものもある。

なんてこと言いながら宿に泊まってる他の日本人の女の子を誘ってアンマンのカフェで合コン、というか旅情報共有会をして寝た。


■01/02
朝、宿のフロントに「イスラエルの国境(キングフセイン橋)に行きたいんだけど。」という話をしたら、バスターミナルの場所を教えてくれたのでそこまでタクシーで行く。

ターミナルには沢山の現地人が使う乗合バスが止まっており、目的のバスを見つけて乗り込む。発車時刻は決まっていない。暫くして乗客が集まったら出発した。


二時間弱ほどで国境に到着。ヨルダンとイスラエルの国境は3つほどしかない。キングフセイン橋はその中の一つ。

国境は中東戦争の名残か緩衝地帯になっており、出国手続きをしてバスに乗り込みイスラエル側の国境へ向かう。

イスラエルに入出国する際、パスポートにスタンプが押されると、イスラエルと緊張関係にある多くの国(シリア、レバノン、サウジ、イラン、パキスタンなど?)に入国が拒否されるようになるらしい。このため、ノースタンプという技があるのだけれど、ヨルダン側の出国スタンプがあると当然イスラエル入国が自明になる。そこで、ヨルダン出国時点でノースタンプにしてもらわなければならない。

キングフセイン橋には日本の国旗が書いてあり、どうやらODAかなにかの金で建設されたもよう。

20分ほどバスで走るとイスラエルのイミグレに到着。セキュリティチェックを受け、有名?な尋問タイム。

僕は三十分ほどかかった。主な聞かれたことは以下の通り。
・目的と初めての訪問か
・ヨルダンでの旅程
・マレーシア、トルコ、UAE、エジプト(イスラム圏)になぜ誰ととのぐらいの間行ったのか
イスラエルの旅程
・出国地
・経由地
・宿
・なぜノースタンプなのか

最後のが曲者で、
僕「旅行したいじゃん。」
彼「は?お前そんなん理由になると思ってんのふざけてんの?」
僕「え、海外旅行まだするつもりで、入国できなくなくなる国あるんでしょ?」
彼「それも理由にならない。今回の行程には問題ないだろ!理由を明確に示せ!説明出来ない理由でもあるのか!」
僕「さささ、サウジアラビアに仕事と旅行で行く可能性があるからです。(適当)」
彼「サウジ入国に支障がでるとか、そもそも誰がお前にそんなこと吹き込んだんだ!」
僕「え、、、ガイドに書いてあったけど。」
彼「ガイドって誰だ!ヨルダンでなんか吹き込まれたか!答えろ!」
僕「ががが、ガイドブックですよ。」
彼「OK, Enjoy!」


抜けたところに日本人が!同行者を待ってるらしく、他の人は、イランとかパキスタン、シリアに入国してたので尋問されて結構長い間待たされてた。大変だこりゃ。
揃った後に乗り合いタクシーでエルサレムへ。移動中、兵士がパスポートチェックなどに車に乗り込んでくるなど。


ここでの出会いは非常に恵まれたものになった。

かつみさん、ひかるさん夫婦、かおりさん、さくらちゃん親子、しゅうへい君、カズさん、さとしくん。

エルサレムの旧市街地は、現地の生活の喧噪の真っ只中にあった。
宿は決めてなかったんだけど、ダマスカス門のすぐそばにあるニューパームホテルにした。8人で一部屋シェアして一泊1000円。

その日はあいにくの雨だったけれども、嘆きの壁、聖噴墓教会(ゴルゴダの丘)など旧市街地の入り組んだ道をなんとなく歩いてメシ食って寝た。






■01/03
朝、エルサレム旧市街地からバスでパレスチナ自治区ベツレヘムへ。
キリストの生まれた馬小屋跡地?の教会やヘロデオン遺跡などを見て回った。




物質にはかなり溢れている感じ。とても賑やかで活気のある印象を受けた。こだわらなければ生活に必要なものは何でも手に入る。

穏健派のファタハが統治するヨルダン川西岸地区パレスチナ自治区はかなり安定してる印象。

とはいえここはパレスチナ自治区。国連の車などがよく通る。監視団かな?

帰りのバスではチェックポイントでパレスチナ人は一度降ろされ、イスラエルが勝手に発行したパレスチニアンIDのチェックをされる。イスラエルは何の権利があってここまでするのか理解できなかった。

エルサレムに住みながらベツレヘムの大学に通うアラブ人の女の子は「毎日のことだから慣れた」と言っていた。でもそれでいいはずはない、と思っているのかどうか到底旅行者に推し量る術はない。


■01/04
この日はひたすらエルサレム旧市街地を回る。唯一敷地内に入ることができる入り口から朝一の岩のドームを間近にみれた。岩のドームの中心には地球の中心らしい?基礎石があり、それをムスリムがモスクで覆ってしまった。ユダヤ教徒の聖地でもあるのに行きたくてもいけない、それを分かつ壁が嘆きの壁とのこと。その後は、一通りの見所を周り、外壁を歩き、夕焼けを味わった。









晩飯でひともんちゃく。宿に長くいるフランス系移民のアメリカ人の女性がどうしても日本食を作って食事をシェアして欲しい、と言ってくる。

疲れ果てていたのでみんなは断ろうとしたのだけど、彼女大荒れ大騒ぎ、海外の自己主張の強さを感じつつも、交渉の引き際を知らないひとは海外にもいるのだなと思い安心もする。

取り敢えず僕は翌日めんどくないよう、結局別れてつくることになった彼女側へ。

修平くんには、「裏切ったなーw」とか言われ内心傷つきつつ、明日も同じこと言われないためだと思って彼女の命令に従いメシを作る。

結局、宿のコンロの火力が不安定でほとんど何も出来ず。まぁ、そんな晩飯も良い思い出か。

後で聞いたことだけど彼女はかなり料理が上手らしく、成功体験があったのだろう。でも、断られた時の荒れ方はCrazyだって、韓国人とイタリア人とオランダ人が言ってた。

夜、宿で知り合った韓国のミンくんから死海への行き方などを聞いて寝る。


■01/05
今日は朝から死海マサダへ。
方向が目的地が一緒だったので宿で知り合ったアメリカ在住韓国のソンミとバスで移動。

死海は本当に沈めなかった。勝手に浮く。これ持ってけ!というかつみさんのアドバイスで新聞を持ってたので「死海に浮かびながら新聞を読む図」をパシャりと。


非常にしょっぱく、ヌルヌルし、乾くとすぐに塩をふく海。
波打ち際は鋭利で大きな塩の結晶で覆われていて、歩くと痛いし擦り傷だらけになる。
サンダル必須。



さらに移動し山の上にあるマサダ遺跡へも。ローマ兵に攻められたヘブライ民族の集団自決の地で、イスラエル軍の入隊式もそこでやるとのこと。
No more, Masada.

夜、明日死海あたりへ行くらしいミンくんに情報共有返しをするなど。


■01/06
部屋から半分ほどの人たちが旅立って行って少し寂しい朝。
今日は一人で回りたかったので、パレスチナ自治政府の首都ラマッラーへ向かう。

街のマーケットは賑わっていて、とてもいい感じ。ところがどっこい、見たいアラファト議長の墓(PLO議長府)がどうにも伝わらない。僕と一緒で片言の英語なんだろうな。生活上必要な人もいるけど基本敵サイドのコトバだし。Arafat's Tomb!とか言っても意味なし。でも親身に聞いてくれる感じはとても好感触。

最後は「そっちの方いくからついて来い」と案内までしてくれてありがたい。


アラファトの墓は議長府の中にさりげなくある。ここがイスラエルから空爆されてたとこか、と立て直したのだろう綺麗な建物がいくつか。周辺にはPLOを国家として認める国の国旗がたなびく。






外ではパレスチナ兵と談笑。カラシニコフを自慢されたり、カメラを自慢したり。しまいにゃジープが四台ぐらい止まって兵士にいちいちトーキョー、ヤパニーとか紹介してやや面倒。


昼はかの有名なパクリカフェ「スターズ&バックス」で。ケバブ注文しただけなのにサラダをおまけしてもらうなど。

帰りのバスではチェックポイントでいったん降ろされた。入植地を広げるために半ば強行で作られたイスラエルPLOを隔てるための分離壁は、もう数百キロあるらしい。ベルリンで壁を見た時、こういう時代はもう終わったのかー、とか思ってたけど、ここでは現在進行形で建設されてる。



壁には思い思いの絵が書いてあって、壁に穴が空いてる絵や、I'm not terrorist.みたいなのもあった。

で、そういった写真を撮ったのだけど、チェックポイント通過時に全部消された。カメラで中を撮影したから目を付けられたらしい。無念すぎる。もう一度行く理由になるぐらい残念。

バックアップのメモリカードに差し替えるぐらいのしたたかさを持つようにしよう。。。


昼過ぎには宿に戻り、バスターミナルからテルアビブへ!とその前に嘆きの壁にもう一度行こう、と思ってバックパック背負っていっていたら、土曜の午後は宗教的な理由でほとんどの公共交通機関が止まってる。


間に合わないのでバスターミナルにはタクシーでボラれつつ到着。


テルアビブはエルサレムからバスで一時間強で着く近場。
国際法上のイスラエルの首都で、各国の大使館もこの街にある。

決めた宿は、ロスチャイルド通りの隣の道のダウンタウン。なんかダン・ブラウンの小説の匂いがする。
12人部屋のベッドを一つ借りる。チェックイン遅いから罰金とかざけんな!



夜のテルアビブでムフフなとこに繰り出したかったのだけど、疲れたから仮眠したら朝になってた。


■01/07
日曜日。何もやってない。見所は全部閉まってる。電車もバスも動いていない。そういう時は自転車を借りて街中走り回るのが自分のスタイル。安いし。


地中海に面したテルアビブはさながらリゾート地。ビルもでかい。人ものんびりしている。この街には想像していたのと違うイスラエルがある。
ユダヤ教徒の人が少ないから?確かにあの奇抜な格好のユダヤ教徒はいない。












ラビン首相が暗殺されたラビン広場や、日本大使館、海岸線、初代大統領ベングリオンの家などをチャリンコでぶらついて、ベングリオン国際空港から帰国へ。


ヨルダンの空港に続いて、この空港でも旧日本赤軍が銃乱射事件を起こしてたりして、日本人の印象悪そう。

ちなみイスラエルでは三時間前に空港に来いと指導してる。実際、入国のと同じぐらいいろいろ聞かれた。特に荷物とか会った人とか、何か渡されなかったかとかが中心。ノースタンプについては特段文句は言われなかった。

その後はバックの中も外も専用の布で拭いてイオンを吸着させて分析器にかける。
爆発物の成分を分析するそうな。

全部で30分ぐらいかかった。


あとは、トルコ経由で帰国。
いつもの日常へ。


今回、世界の宗教戦争の中心地に行った訳だけれど、やっぱり信仰が薄い僕には良くわからないことだらけだ。
ただ、彼らにとっては信仰は人生そのものという意味合いも強い、と強く実感した。


おしまい。